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彼女を「殺した」のは僕らではないか。

電通過労死事件がどうにも気になる。
過労死自体は、残念ながらありふれた話だ。
鍵アカになる前にざっと彼女のツイートを読んだ所、ネット馴れした自虐ツイートで、それ故に「もしかしたら何かの拍子で会っていたかも」という親近感が生まれ、どうしようもない衝撃があった。
実際、僕が相互フォローしてる人で、彼女と相互フォローしている人がいた。まあ、僕もその人ともやりとりがあるわけではないので、そんなことを言っていても仕方ないのだが、「六次の隔たり」というが、彼女は思った以上に「すぐそば」にいた。

 


Twitterでいろんな人と会うようになって、とても不思議に感じていることがある。
時折クセの強い人もいるが、95%くらいは良い人たちばかりだ。
もちろん、Twitter上でやりとりして気心が知れたから会うわけだから、好感を持てる人の方が多いわけだが、ともあれ、オフ会では「友人」として会うが、誰しもそれぞれ会社での顔、家庭での顔を持っている。
ということは、一見「良い人」が、会社では面倒臭い上司の顔を持っている可能性もある。一消費者としては、「クレーマー」な側面を持っている人もいるかもしれない。家庭では良い配偶者ではないかもしれない。
いわゆる「会えばいい人」の逆だ。ちょっと会っただけでは、その人の「悪い面」はそう見えてこない。


「ラクダの背骨を折るのは最後の藁だ」という諺がある。
藁の一本一本は取るに足らない重さでも、積み重なれば、致命傷となる。
僕らはお互いに藁を積み合っているだろう。
それはある程度仕方がない。
仕事のできない部下や、不誠実な取引先を詰めることもあるだろう。それも仕事のうちだ。
消費者として、企業にクレームをつけることもあるだろう。その店員やコールセンターの相手が悪いわけではないとわかっていても、言わざるを得ないときもある。

今回の件で言えば、CMに釣られて商品を購入するのはごく自然な行為だ。何の罪にもあたらない。

ただ、僕らは消費者として、そして取引先として、上司として、同僚として、誰かに無理を強いていないか。誰かを死ぬまで追い詰めていないといえるか。
悪意なき「殺意」で、誰かの首を真綿で絞めていないだろうか。しかも、無意識のうちに。


それは、最後の一本の藁ではないかもしれない。だが、確実に相手を至らしめる一本だ。その自覚があるか。

今回の事件は、電通=広告代理店という会社故、「僕らが消費者が間接的に彼女を殺したのではないか」というと大げさだろうか。

もちろん電通自体の社風が直接の問題なのは言うまでもないが、金は天下の回り物、僕ら消費者の金が電通のクライアントへ、そしてそのクライアントを通じて電通へ行っているわけだ。
ではその電通の社風は「誰のために」培われたのかと言えば、電通のクライアントで、そのクライアントのエンドクライアント=消費者は僕たちだ。
消費者である僕らの手は、一滴もその返り血を浴びてないといえるか。

 

飛躍が過ぎるとは思う。
だが、僕らは意識せず、その人を「殺そうとして」いないだろうか。
どこかで共犯者になっていないだろうか。
僕たちは、「仕事」という内戦で、殺し合ってだろうか。

自分が死なないためにも、自分の大切な人を殺されないためにも、その無駄な藁を積むのをやめよう。

 

何の罪もない人を殺して稼いだ金で食うメシは美味いか?

 

故人の冥福を祈る。