いつのまにか失われていく風景たち

なんか下のブコメが思わぬ好評を博したので、時節的にも前から書きたかったことをさらっと書いてみる。

【シン・ゴジラ】川崎市長「川崎をめちゃくちゃにしてください」→実際に破壊され映画は大ヒット…フィクションの怪獣に破壊されるのは一種の祭りでもある - Togetterまとめ

ゴジラは毎年「今年は何処を壊すか」が話題の映画だった覚えが。/で、十年後二十年後に見たときにゴジラに「壊された」風景がもう無かったり(=人間が壊してる)するわけですよ。何気ない街並みこそ記録として大事

2017/02/18 01:10

b.hatena.ne.jp

 

この春、卒業や就職で地元から離れる人は、身近なところを写真に撮りまくっておくといいっすよ。自分自身から家族、実家のリビングや自室、玄関先、家の周り、駅のまわり、小中高大学問わず通った学校、通学路、よく行った店などなどなど。

 僕は埼玉のちっさいベッドタウン出身なんだけど、それでも5年もすれば駅前がそこそこ変わっていた。毎日のように雑誌を立ち読みしていた本屋も、ブランキージェットシティーやSHERBETSの新譜を買ったCD屋もなくなって、ちょっとした思い入れのあるメシ屋もなくなった。

実家を出てからの方が駅前が便利になって、無駄に嫉妬?をしたし、若いうちは単に新しい店ができて「実家帰ったとき便利じゃん」とか嬉しかったりするんだけど、そのうち喪失感の方が強くなってくる。そして、その喪失感は埋められない。
ずっとあると思っていたモノがなくなっていくのは、地味にさみしかった。おいていったはずの故郷においていかれるような、奇妙な感じ。

 

オリンピック前というのもあって、新宿なんかも古いビルが壊され、新しいビルが建って風景が変わってきていて戸惑う。目印にしていたビルがなくなって、来たことがある場所なのに、初めてきたような、デジャブとは逆のジャメヴ(未視感)を覚える都心部はいわんや、地方都市や郊外のベッドタウンでも徐々に変わっていく。新しい店ができるだけではなく、畳む店も出てくる。今、僕が5年以上住んでいる場所でも、好きだったメシ屋や行きたかったメシ屋がなくなった。

変わらないようで街並みは少しずつ変わってき、人は成長しあるいは老け、そして消えていく。

 

映像でもいいんだけど、写真が一番手っ取り早い。ただの記録だから、別にヘタでもいい。「この場所にこれがあった」という確たるモノが残ればいい。記憶は曖昧で、都合よく整理されていき、あるいは混在していく。いい加減な記憶と、諸行無常な時の流れにせいぜい抗う手段が写真で、写真があれば、明確に形に残る。

スマホで撮って、スーパーやコンビニでもプリントアウトできるから、とりあえず形にして、100円ショップで買ったアルバムにつっこんでおくだけでいい。それは今はまったく意味を持たないだろうが、5年後、10年後にはタイムカプセルとなっている。どうでもいい日常たちほど、あとで愛おしくなる。

「思い出せる」というのは、幸せなことだ。「懐かしめる」ものがあるというのは、幸せなことだ。残せるうちに、何気ない日常を残しておくと、いつか、楽しめる。

オチは特にないので、ちょうど歌詞がマッチしてるSHERBETSの「COWBOY」を置いておく。

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