バイオリンを習って4年の俺が、クラシックのお勧めを書いてみる

クラシックが話題なので、バイオリンを習い初めて4年ほどになる俺が好きな曲を適当に紹介してみるよ!

 

バイオリンを習い始めたのは、LUNA SEASUGIZOの影響もあるけど、単純にカッコよくてずっと憧れてたので。楽器の中でもバイオリンって、段違いでカッコよくない? とりあえず弾いてみたくなるじゃん?

なお、4年やってるけど、マジ難しいっす。ギターと違ってフレットがないので、音がとりづらい。大人になってから始めた人は「レイトスターター」とか言われる世界。あと弦が高い。安いのでも4本5000円とかしてつらい。半年に一回替えるくらいだけど。

俺が習ってる教室では年2回、発表会があるんだけど、実際にやった曲を中心に、バイオリンの名曲を紹介してみる。なお、YouTubeは公式もしくは本人がアップしてるものを選んでます。ので、多少上手い下手はあるかと思うけど、気にいったら、適当にググってください。「曲名 バイオリン」でググれば、わりと動画が出て来ます。

曲の解説は主にウィキペで調べてます。すんません。

G線上のアリア/バッハ

超絶有名曲。音楽はドイツ語読みなので、「ジー線」ではなく、「ゲー線」と読むようです。

バイオリニストのアウグスト・ウィルヘルミがピアノ伴奏付きのヴァイオリン独奏のために編曲したものの通称だそうで。

G線って何?というと、バイオリンは4本弦があって、一番低い音で太い弦である4番目のG線のみで演奏する。ため。例えば、「レ」の音は1ポジションの2弦で弾けるんだけど、「Sul G」という演奏方法で、太いG線のみで弾くことで、より深みのある音になるので、G線で弾く。ギターをやってる人はイメージしやすいと思うけど、ハイポジションになると音の間隔が狭くなるので、より音程を取るのがシビアになるため、それなりに難しい。

バッハ自体は、個人的には格調高過ぎて「ザ! 古典!!! ザ! クラシック!!」感があって苦手なんだけど、G線は有名曲で耳馴染みもあって、そこまで抵抗感もないし、レパートリーとして覚えておくといいかなと発表会でやる予定だった。が、コロナで発表会がすっとんだ。

 


Air On The G String, J. S. Bach - Anastasiya Petryshak

 

愛の挨拶/エルガー

エルガーといえば、まず「威風堂々」が出てくるだろうが、「愛の挨拶」も有名で、電話の保留音なんかでもよく使われている。

話は少々飛ぶが、高校の頃はブラスバンド部でトロンボーンをやってたので、ステージ経験はそれなりにあるんだけど、発表会では最後の方が飛んで、10秒くらい固まった。先生がピアノの伴奏をしたので、先生も困っただろう。ステージで頭が真っ白になるという経験を初めてした。二度としたくない。

バイオリンでは7ポジションとか高めのポジションが出てくるので、初心者がやる曲ではない。が、2年目くらいの時に、まだ1ポジションしか習ってないのに適当に楽譜見て「行けるんじゃね?」と思って(何故行けると思ったか今でも謎だし、先生もよく止めなかったなと不思議なくらいには、初心者には難しい)挑戦してしまった。おかげで、電話や街角で聴くとフラッシュバックを起こして身悶える。


宮本笑里 『愛のあいさつ』MV Full

なお「愛の喜び」「愛の悲しみ」とあるが、両方ともクライスラー作曲。どちらも有名なので、聴いたことあるかと。

 

「ポジション」っていうのは、弦を押さえる左手の位置。前述の通り、ギターだと縦のネックに対して横に銀色のフレットが埋めこんであって、フレットを押さえることで、任意の音を出している。けど、バイオリンはフレットがない=押さえる場所が正確にわからない。けど、「だいたいネックのこの辺押さえるとレ」って具合でやってく。
1ポジションは一番上。3、5、7と数字が増えると、より手前になり、音が高くなっていく。

 

亡き王女のためのパヴァーヌラヴェル

紛らわしいのだが、「亡くなった王女の葬送の哀歌」ではなく、「昔、スペインの宮廷で小さな王女が踊ったようなパヴァーヌ」だそうだ。たしかに悲しみに暮れる、死者を悼む曲というよりは、母親が幼い少女を抱きしめるような、上品で繊細な優しさがある。寝る前にずっと聴いていたくなるような曲。ラヴェルは『ボレロ』の作曲、『展覧会の絵』のオーケストレーションで有名。


Pavane for Dead Princess - Maurice Ravel ( Violin )


タイスの瞑想曲/マスネ

後述するCDにも収録されてるし、有名曲だが、たしかフィギュアスケートを観てて、「この曲いいじゃん!」と気に入った曲。発表会でやった。改めて聴いても、ゆったりした曲なのでスピード感というと違和感があるかもしれないが、緩急ある旋律が、滑っては飛ぶフィギュアスケートには非常にマッチしていると思う。


Jules Massenet - Meditation from Thais for Violin and Piano

 

白鳥/サン・サーンス

『動物の謝肉祭』という組曲の一部で、第13曲目。バイオリンよりチェロ独奏曲として有名。「白鳥」の名にふさわしく優雅に舞うような心地よい曲。今年4月の発表会でやる予定。これは比較的簡単。だけど、ビブラートを上手く効かせないと棒読みになるので、やっぱそれなりに難しい。


The Swan - 白鳥 - Le cygne [Violin Cover]【J.C.Ando】


シシリエンヌ/フォーレ

モーリス・メーテルリンクの戯曲『ペレアスとメリザンド』のためにフォーレが書いた曲。中谷美紀のアルバム『私生活』に収録されてる「temptation」という曲が、これを原曲にしてる。

たしか昔CMか何かで使われていて、非常に印象に残っていた曲。絶妙な不安感と妖しさが好き。マザー・グースじゃないけど、子供に歌って聴かせるようでありつつ、どこか少し不穏で仄暗い哀愁が漂う。いつか発表会で演奏したい。


フォーレ「シシリエンヌ」/G.Faure:Sicilienne

 

以下はとてもじゃないけど弾けない曲の紹介。


24の奇想曲/パガニーニ

パガニーニの演奏技術は、悪魔に魂を売り渡した代償として手に入れたものだ」と言われた天才ヴァイオリニスト。「カンパネルラ」で知られるリストにも影響を与えた。

ピアノの話題になって余談だが、一世を風靡したフジ子・ヘミングの「奇跡のカンパネルラ」は名盤なので、是非聴いてほしい。マジで熱い。

さて、「24の奇想曲」、または「24のカプリース」は文字どおり24曲ある超絶技巧のヴァイオリン独奏曲集。第1番の時点で、「は‼?? バイオリンでこんな早弾きできるの!?」と思うこと請け合いの怒濤の早弾き。90秒程度の曲だが、圧倒されるなんてもんじゃない。


Paganini: 24 Caprices For Violin, Op.1 - No. 1 In E

 

オクターブ重音を使った第3番は「え、これ一人で弾いてるの? 嘘でしょ?」となる。第9番は「少女と老人とが掛け合いで歌うさまを模写した」そうだ。たしかに高音の可愛らしい旋律と、それに対応するような打って変わった低音の旋律が面白い。第10番も初っぱなからテンションマックスの早弾きで、息を呑む。全部聴き直すもの大変なのでw、有名どころにしてラストの24番に飛ぶが、これがまた導入部分からして狡猾な悪魔が誘惑するかのような、独特の妖しさを放つ。あ、当然ながら、僕にはまったく弾けません、はい。音大の試験とかでは出るそうです。
とりあえず1番と10番、24番を聴いて「お!?」と思ったら、他のも通して聴けばいいと思う。


パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト」という映画もあるので、是非観て欲しい。バイオリニストでありモデルでもあるがデイヴィッド・ギャレットという主演、ストラディバリウスを使って演奏している。ストラディバリウスはいわずもがなのウン億するバイオリンの最高峰。ウィキペディアにも紹介されている数々のエピソードが作中で見られるのもあり、非常に面白い。


7/11(金)公開 『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』予告篇

 

なお、上記にも上げたが、デイヴィッド・ギャレット自身は、メタリカとの共演もあったり、クラシックだけでなく、一般よりの仕事もしている。非常に色気のあるバイオリンを弾く。

 

無伴奏ヴァイオリンソナタ/イザイ

1番から6番まである。親交のある6人のバイオリニストに各曲が献呈された。何処か人を食ったような所のあるパガニーニカプリースと違って、不穏で難解。だけどクセになる。1番なんかは幽霊が出ると評判のヨーロッパの古城につれてこられたような気分になる。「一部の作品を除くと未だに演奏機会は少なく、作品の演奏がおしなべて困難であることもあって作曲活動の全貌は明らかになっておらず、いまだに全集の編纂すらない」とか、伝説の作曲家感があってよくない?w


Moné Hattori - Ysaÿe - Sonata for Solo Violin, Op.27 No.2 (IV- Les Furies – Allegro furioso)

 

どうやってバイオリンの名曲を見つけるの?

習い始めの頃は、何を基準に選べば良かったのかわからなかったので、Amazonで調べて曲がたくさん入っていて安い「ベスト・オブ・ベスト 珠玉のヴァイオリン名曲集」なるCDを買って勉強。たしかに聴いたことのある曲がわんさか!

 

 あとは、サブスクで宮本笑里千住真理子前橋汀子、鈴木舞、上里はな子とかのアルバムを聴いて、気に入った曲を見つけるとか。

主にバイオリンソナタ(バイオリンとピアノの二重奏)のあたりが構成もシンプルで短めなので、とっつきやすいです。まあ「オーケストラの方が迫力があっていい!」とか、「四重奏の方が構築性があっていい!」とか、この辺は好みだけど。

 

クラシックはどうしても「気取ってる」とか、敷居が高く感じられる(あ、敷居が高い警察の方はご遠慮ください)けど、そういうの無視して、とりあえず聴いてみると面白いっすよ。何より「浸透力」が凄くて、知らないはずの曲でも、馴染んでくると子供の頃から知ってたような「懐かしさ」が出てくる。圧倒的にキャッチー。100年とか聞き継がれてる曲って、やっぱそれだけ人の心に染み入るものがあるんだなぁと痛感します。

  

ブコメするのに疲れてしまった。

6月頭頃からブコメをしないようにしている。

数日は本当にホットエントリも見ないようにしたが、さすがに堪えきれず、ホットエントリやブコメを見てスターを押したりしているものの、ブクマは控えている。

大袈裟かもしれないが、連日、あまりにも頭にくるニュースが多く、怒りを、憎しみを言語化した上でアウトプットするのがしんどくなった。

 

桜を見る会」全盛期に「金額が小さかろうと誤魔化す奴らに、巨額の国家予算を委ねられるか」という意味合いのことをどなたかがブコメで言及してたのは、今思うと大変予言的でかつ的を射た指摘だった。

平時に「少額」であろうとろくに説明もしない、公文書も残さない奴らが、非常時に「これは国家の一大事ですね、私腹を肥やすのをやめて国家のために尽くします」と襟を正すわけもなく、むしろここぞとばかりに火事場泥棒(という言葉でさえこの百年に一度レベルの非常時には生温いが、残念ながら適切な罵倒の言葉を俺は知らない)を働きだし、例によって国民よりお友達重視で、ろくに説明責任も果たさなけば、出せば簡単に野党・マスコミの追及を一刀両断できるであろう公文書も出さない。

 

少なくとも、俺の常識では理解できない出来事が毎日のように起きている。「政権末期にはよくある光景」といえばそうかもしれないが、それにしてもあまりにも醜悪で筆舌に尽くしがたい。

 

10万円給付、そして #検察庁法改正案に抗議します と、3月頃からネットの声が政府を動かしている感触は確実にある。ブコメでどうなるとは思わないが、選挙は白紙委任状ではないので(恐ろしいことに、何故かそれさえも理解できない人がいるようだが!)、選挙でもたかだか一票の積み重ねで議員が選出されるように、ネットだろうがなんだろうが、ツイートひとつ、一人一人の声が積み重なり、世の中が変わっていく可能性は、たしかに、ある。

 

だが、怒りを表明するのにさえ疲れてしまった。ネタブコメくらいすればいいんだが、大喜利に参加する気力もなくなった。スマホからアプリも消し、ブラウザのブックマークからも削除した(が、アドレスバーに「b」と入力すると、https://b.hatena.ne.jp/ がサジェストされるし、アクセスしてしまうが)。
こうしてダラダラと久々にブログを書いているが、100文字程度だろうと、スター目当てに自分の考えをまとめるのを忌避するようになってしまった。2009年頃からブコメをするようになったが、しばらくただのROM専(という言葉もきかなくなった)でいこうと思う。

また明日な。

オリンピックがみたい。

この非常時に何を言っているのかと思われるかもしれないが、オリンピックがみたい。
 
普段から特段スポーツ観戦する趣味はないのだが、昨年のラグビーのワールドカップのように、大きな国際試合があれば、なんとなく観るようにしている。オリンピックも同様に「日本人が活躍してるなら観てみるかな」程度のいわゆる「にわかファン」だ。
 
今までもオリンピックは夏冬ともに、各競技を観ればそれなりに楽しんできた。サッカーや野球などのメジャー競技はもちろん、冬のカーリングの独特の緊張感、フィギュアスケートの羽生選手の美技。
世界一を決める大会なのだから観て楽しいのは当然だろう。それぞれの選手が人生を賭けて最高のパフォーマンスで挑戦してくる、世界最大のお祭りなのだから面白くないわけがない。カーリングのように、普段観る機会のない競技に触れられるのも、オリンピックの楽しさのひとつだ。
 
しかし、オリンピックの運営自体は当然のように冷ややかな目で見ている。オリンピックではなくても、日本で開催されるいわゆる世界大会規模で、ここまで開催以前に悪い意味で耳目を集めたイベントはないだろう。
昨年のラグビーのW杯だって、新国立競技場こそ間に合わなかったものの、ロゴやなんやでモメることはなかった。1998年の長野オリンピックも、箱物関係で税金の無駄だのと批判はあった気がするが、それ以外はほとんど記憶にない。2002年のサッカーW杯も、たしか日韓戦で誤審だなんだとモメたが、やはり開催までのゴシップは(同時開催になった経緯以外は)そこまでなかったと思う。
 
翻って東京オリンピックはどうだ。ロゴ、新国立のデザイン、会場の不備、開催時期と暑さ対策、賄賂疑惑、これでもかというほど問題が出てくる。他国でもここまでモメるのだろうか?と不安になるくらいには、2013年に決まって以来、醜聞ありきで2020年を迎えた。
その挙げ句が、史上初の延期だ。
 
世界はすっかりコロナ一色に染まった。
 
東日本大震災の、津波による地獄のような映像を見せつけられ、いつ原発メルトダウンし日本全体が放射能汚染されるかという恐怖、計画停電、そして不定期にしかし無慈悲にも確実に起きる余震とはまったく別の形で、あまりにも静かに、しかし冷徹にコロナは僕たちの日常を変えた。
日本だけでなく、地球規模で本当に「世界が変わってしまった」かつ「おそらく数年がかりで、社会全体がそのあり方を変えないといけない」という絶望感、被支配感がある。「集まる=社会」であることを否定されるのが、コロナの恐ろしさだろう。
 
飲み会、パーティー、ライブ、観劇、スポーツ観戦、とにかく人が集まることができなくなる。海外旅行どころか、国内でさえ危うくなるかもしれない。そこで壊れていく、失っていくものはあまりにも多すぎる。
3.11で津波が、メルトダウンした原発が数多のものを根こそぎ奪っていったように、コロナもまた、あまりにも多くのものを、沈黙のうちに奪っていく。
 
そもそも「復興五輪」なんていうが、3.11はまだ終わったわけではない。未だに仮設住宅に住む人もいる(!!)し、そもそも福島第一原発廃炉にできたわけではない。それでも(詳しくは失念した)が天気予報と並んで放射線量マップみたいのが新聞に掲載されなくなって久しい。震災で親を亡くした球児がプロ入りしたというニュースも観た。それだけの月日が流れた。
 
令和の今、ニュースで一言もコロナに触れない日は、いつ来るのか。
オリンピックは本当に延期で済めばいいが、日程まで決まったものの、おおよそ現実的ではないだろう。仮に日本国内で収束したとしても、世界の隅々までコロナが収束したのでなければ、世界各国から一都市に人が集まるなんて、とてもではないが世紀の愚行でしかない。再度日本でも、そして日本発で世界規模のパンデミックを引き起こすという「人為的な災害」になる。
 
それでも、今は、オリンピックがみたい。
 
もしコロナに効く薬ができ、ワクチンができ、医療崩壊も免れて収束できたのなら。そしてまた人々が集まり、話し、食事をし、触れあえるようになったのなら。
それはかつてない感動的なオリンピックになるだろう。あまりのも多くの犠牲を払った上で、人々が集まる・移動をするという人類が今までごく当たり前に繰り返してきた行為が、ようやく何の心配もなくできるようになる。それは追悼と平和の祭典になるだろう。何年後でもいい、東京じゃなくてもいいので、開催されてほしい。
 
世間は給付金でモメているが、ありがたいことに僕の仕事には直接コロナの「被害」はない。ただ、保守案件で、コロナによる中止のお知らせや、その他対策の告知が増えた。僕自身、フリーランスで基本的に自宅で仕事をしており、毎日通勤してるわけではないので、普通の人よりは感染へのストレスは少ないはずだ。それでも人類の未曾有の危機(という言葉が比喩でないのが恐ろしい)に、どうしようもない虚無感や圧迫感を覚える。
僕はまだ「一ヶ月後どんな世界になってるかわからないが、とにかく生き延びるしかない」といえるが、直接被害を受けているエンタメ界や飲食、旅行、その他業界の人々の心中は想像するのも辛い。彼らは崖へ崖へと隘路を圧されていくような思いで、一週間後どころか、明日さえろくに見えないだろう。3月初めに行く予定だったライブが7月に延期になったが、本当に開催されるかもわからない。
僕はまだ恵まれた環境にあるのだから、微力ながらその一助になる仕事を淡々とするしかない。
 
またオリンピックがみられる日が来るのを夢見ながら。

桜を見る会・前夜際に関する疑問メモ

どうも安倍内閣は「え、それホントに大丈夫なの?」と、小中学校の社会や公民の教科書を読み直したくなるような、初歩的かつ常識的な「違反」を毎年のように、何かしらしでかす。忘れてしまうので、今回の「桜を見る会」とその「前夜際」の疑問点を、箇条書きで書き残しておく。
疑問が解消されれば、追記していきたい。例のごとくうやむやになって、追記できなさそうだけど。

桜を見る会

・各界における「功績、功労」とは何なのか。その基準が不明。欠席者への配慮は感情的にはわかるが、出席者に関しては、少なくとも基準は明確にすべき。名誉なことなのに明確にしない意味がわからない。
・例年増えていく、また同じ人が呼ばれる理由が不明。増えていくのはまだ判らなくもないが(ただし尚更基準を公開すべき)、同じ人が呼ばれるのは、毎年同等の評価を得ているということなのか。これも結局、審査基準が不明確なので理解ができない。
・「名簿がない」というのが理解できない。セキュリティ的にも危ういし、実務的のも、どうやって出欠を取っているのか、また来年度の候補者選びにも影響があるのではないか。
・首相や各大臣の招待枠があるのは、理解できなくはないが、公職選挙法に違反しないよう、かぎりなく慎重になるべき所だったのではないか。後援会の人間を呼ぶというのは、ありえないのでは。
・第二次安倍内閣まで8000〜1万人程度だった参加者が例年増えていき、今年は安倍首相の後援会の人間だけでも850人も参加者がいるとのこと。今年は18,200人なので、4.6%。後援会の人間を850人も呼ぶこと自体、公職選挙法に違反しそうなものだが、呼ばれてる人らも裏方の官僚も、誰も何も思わなかったのか。公的行事なのに異常としか言いようがない。
・参加した政治家もブログやツイッターで書いていたが、公職選挙法に違反するリスクを感じなかったのか。感じていないのであれば、普段から同様の行為をしているのではないか。年賀状1枚出すのも
・近年、前年にブレイクした程度の芸能人を呼んでいたが、その意味はあるのか。マスコミに報じさせるのに絵面がよいように使っていただけではないか。
・マスコミも毎年写真付きで報じていたと思うが、マスコミは何も疑問に思わなかったのか。
・マスコミも毎年写真付きで報じていたと思うが、マスコミは何も疑問に思わなかったのか。
・当たり前だが、自民民主問わず、今までどういった形で運営されてきたのか、明確にした上で、処罰と再発防止策を徹底すべき
 

前夜祭

・公的な行事の前に、首相の事務所が「前夜祭」と称して、行事の参加者である後援会の一部を招いて、首相夫妻も呼ぶ=首相公認のイベントを行うのは適切なのか。
・前夜祭にはABCDとプランがあるのに、夕食だけ別払いの意味がわからない。A〜D×夕食会(前夜祭)参加の有無で8パターンだと煩雑になるため? しかし旅行代理店が入っているんだから、それくらい対応できるのでは。
・前夜祭の5000円は適切なのか。総理大臣クラスの顧客、また宿泊+前夜祭参加者が800人規模になれば、ホテルも(大幅な)割引を行うのか。政治家相手にそれは適切なのか。
・歌手が無料で歌っているようだが、歌手側の寄付行為に値しないのか。

www.asahi.com

https://kakaku.com/tv/channel=6/programID=12203/episodeID=1313632/
「著名な芸能人の無料公演等もこれにあたる」(「市会ジャーナル 特別編・法制レポート⑮ 公職の候補者等に関する寄附行為の制限について」横浜市会議会局 政策調査課:PDF
 
・領収書をホテル名義で出すのはありえるのか。事前に書いておくとしてもドタキャンに対応できず発生していない支払い記録が残ってしまう。未記入の領収書の束を渡すのはもっとありえないだろう。普通に考えれば、いったん事務所名義で領収書を切って、まとめた金額をホテルに払う。そうしなかった意味・理由は何か。収支として記録が、また領収書としてリストが残るのを嫌った? ホテル名義で領収書を知っているのであれば、実務的にどのようなフローでしたのか。
・安倍夫妻のホテル名義の領収書はないのか。ないのであれば、二人の夕食代はどこから出てるのか。少なくとも安倍夫妻個人もしくは後援会から出てるはずで、それは記録に残っているべきなのでは。安倍夫妻個人から出しているのなら、夫妻が領収書を持っているはずなのでは。

「反日」と言いたいだけの人たち

あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」はどうにも言及しづらい。いかんせん観てないからだ。基本的に、その作品を観ずに語るのはフェアではない。とはいえ、東京から愛知へさくっと行けるかと言われると、行けないことはないが、「そこまでして観たいものでもないし」と正直、腰が重くなる。ネットやテレビのニュースを通じて、その作品の「一部」を観ることしかできない。今回のChim↑Pomの「気合い100連発」も、10分30秒あるが、全部を観たわけではない。

 

痛いニュースの『【悲報】 表現の不自由展で新たな反日作品発覚 「被爆最高!放射能最高!」と叫ぶ映像作品』という記事がホットエントリに入ってきた。音声はいまいち聞き取りづらいが、たしかに「被爆最高」や「放射能が出てるよ」といった発言はある。
それと並べて、帽子を被った男性の「解説」があり、「おためごかしで東北の人たちをからかいに来た映像です」と断言している。続けて、「ところどころ、テロップに、あの、隠してあります。それは完全に隠語で何を言っているか想像がつく人は、朝鮮側からしたらおそらく想像ができるけれど、あれは在日たちを喜ばすための映像」と言い切っている。
が、どの言葉がその「隠語」で、どんな侮蔑をしているのかはまったくわからないし、なぜ朝鮮の人がこの映像でわざわざそんなことをしているのか、という根拠はまったく示されていない。
不勉強なものでわかりかねるので、具体的にどういった隠語がどういった意味なのか、ご存知の方がいらっしゃれば是非ご教示賜りたい。

また、残念ながら存じ上げないのだが、この男性は界隈では有名な方なのだろうか。
有名無名いずれにしても、明確な根拠もなしに「隠語で日本人を侮蔑している」というのはおだやかではない。かつ、「在日(おそらく在日韓国人)を喜ばす」というのも意味がわからない。


昭和天皇の写真を燃やしている「遠近を抱えて」や「平和の少女像」と同一の文脈で語られ、「表現の不自由展・その後」自体が「反日サヨクプロパガンダ」であり、「芸術の名を借りた日本人ヘイト」の作品群が展示されているという「文脈」で、この「気合い100連発」も観られてしまっているようだ。
余談だが、「平和の少女像」として出品されているのに、「慰安婦像」とニュースでも言われているのは、正確性に欠くと思う。何故、作品名を伝えないのだろう。


この流れ、どうも8.6秒バズーカーの騒動を思い出してしまう。
あれも結局一部の人らが妄想を繰り広げただけなのに「事実」とされ、あそこまで炎上した。

ブコメ増田で言及されているが、少なくとも、Chim↑Pomとしては2016年5月の時点で、

2011年の福島第一原発事故からすぐのときに、原発から50kmのところの相馬市で被災した男の子たち6人と映像を撮った。Chim↑Pomの4人を含めて10人で円陣組んで、アドリブでガンガン気合いを入れあっていく。スクリプトはなし。言うことはばらばらで、何を言ってもいい。地元の子たちも盛り上がって、徐々にポジティブになっていく。「車欲しい」とか「彼女欲しい」とかボケ始め、最後は「放射能最高!」と叫びだしたんです。僕らはその明るさに衝撃を受けました。

 http://realkyoto.jp/article/talk_takayama-ushiro/

 

と語っている。
そこに韓国やその他諸外国との関係性はない。

冒頭に書いたように、作品を観ていないのに、即断するのもフェアではないのだが。
おそらくTwitterを利用した痛いニュースによるデマだと言っていいだろう。
もちろん、本当に「隠語」で日本を侮蔑しているのであれば、撤回する。が、痛いニュース上でも隠語に関する話題はなく、おそらく二つ目の動画はろくに観られていない。観られているのであれば、「名推理」が出ているはずだ。

「遠近を抱えて」や「平和の少女像」が出品されている=反日サヨクの展示であり、在日の陰謀なので、そこで展示されている震災被災者への侮蔑=反日という思考だろう。
しかし仮に「気合い100連発」が本当に被災者への侮蔑だとしても、そこに国は関係ない。個人的には作家が言うように、一種の反骨心の表れで「放射能最高」と言う発言になったとは思うが、それもきちんと作品を最後まで観ないとわからない。ただ、まったく関係のない反日と結びつけて批判するのは、それこそが被災者への侮蔑だろう。

 

いずれにせよ、「表現の不自由展・その後」は様々な問題が表出したが、いよいよ底が抜けたように思え、あまりにもうんざりしたため、記録として所感を残しておく。

 

さよなら、はてなハイク。

フリーランスwebデザイナーとして独立した当初、僕はひたすら雑談に飢えていた。
ベッドの隣がパソコンデスクという、通勤時間、徒歩一歩の環境。
24時間、たった1人で仕事をしていた。
2ちゃん(当時)のweb制作板に入り浸っては、グチやらフリーランス論なんかをぶっていたが、当然ながら常にレスをもらえるとは限らない。レスがもらえた時の嬉しさは半端なかった。
まだ本格的に流行始める前のTwitterもやってみたが、壁にむかって呟いているような虚しさがあって、すぐに挫折した。

 そこでたどり着いたのがはてなハイクだった。Twitterと違って、「お題」があって、それに対しての投稿を行う。直接レスはなくても、はてなスターがもらえて、承認欲求が満たされた。何でも呟いていい=逆に言えば、何を言えばいいかわからないTwitterと違って、なんかしらお題が流れてるので、それに対して思いついたことを呟けばいいというスタンスも、とっつき安かった。

 徐々にスターやレスをしあう人たちが増えて、なんとなく仲良くなって、オフ会なんかも行くようになった。
調子にのってid:take-itだけど、Dr Pepperがちょおうめぇので100本飲んでみる。とかやってみたり、(いい意味での)個人いじりがあって、一部殺伐とする部分もあったけど、和気藹々とした雰囲気の方が強いコミュニティだったと思う。
カミナギハヅキというbotなんかもいて、なかでも天気予報のめりもなんかはアイコンもかわいいし、すげー好きだった。

 Twitterだと「ドロリッチ」なんかが流行ったけど、はてなハイクでも「ロールちゃん」という菓子パン(と思ったらサイト見たら「洋菓子」だそうだ)が定番のお菓子として流行ってたり、アイコンが左サイドバーに並ぶ仕様なので、Users欄のアイコンの並びから読み取るなんて遊びもできた。

Twitterと違ってホーム画面は全ユーザー同じなので、調子にのってpostしまくったりレスしまくったりしてると荒し状態になってしまい、2ちゃんのヲチスレで名指しでウザいとか言われたりしたのもいい思い出だ(正直すまんかった)。

迷惑をかけるようなこともあったが、好意的なレスなりスターなりのフィードバックもあるので、「これって『面白い』って思ってもらえるんだ!」とわかるようになったのも、はてなハイクのお陰だった。
あまりコミュニケーションに自信がなかった僕が、安心してバカができる場所だった。「嗤われる」じゃなくて、「笑ってもらえる」場所。単に話し相手がいるという以上に、安心して冗談を言って、笑ってもらえる場所があるというのは、本当に嬉しかった。

 

おばけアイコンができたのも、ハイクがきっかけだった。
当時、丑年で、

f:id:take-it:20181119231001j:plain

こんなアイコンを使っていたんだけど、たしかこの投稿「思ったよりも下部が卑猥 - 怒られそうなことを敢えて言う - ʕ •ᴥ•ʔ<だ」が元で、もう一人レスをつけたユーザーが「上の部分が顔に見える」というので、ちょちょっとFireworksでいじって、おばけにしたのだ。
おばけなのは、キャラクターにするのに、おばけが一番楽に描けたから、という安易な理由だ。

2009年にTwitterが流行りだしてから、ハイクにはあまり顔を出さなくなった。
ハイクで仲良くなった人たちもTwitterを始めだし、コミュニティがそのまま移ってきたのと、Twitterでのwebクラスタとのやりとりにハマったのもある。
当初は苦手だった「何でも呟いていい」というTwitterが、気楽になった。
自分でタイムラインを作れるTwitterと違って、嫌なユーザーやスパムも目の当たりにしなければならないハイクは、一年に一度、ふと思い出したようにポストする程度になった。

だから、もう、ハイクをやらなくなって8、9年以上経ってしまう。
それでもやはりはてなハイクがなくなってしまうと、さみしい。
たしかにもう行かないかもしれない、だけど、子供の頃、大好きな友人達とよく遊んだ公園が突然なくなってしまうような、どうしようもないやるせなさ。
たしかに今はTwitterFacebookで事足りている。
ビジネスとして考えても、収益化が難しいであろうはてなハイクが、生き残るすべはないのかもしれない。

ただ、僕のネット人生の中で、とてもとても大切な場所だったのは間違いない。
ありがとう、はてなハイク。そして、さよなら。

フリーランスはゴールではない。

katsuse.hatenablog.com

このエントリに対して、わりと感じの悪いブコメを書いたので、

会社員→転職→独立して気付いた「選択自体は重要ではない」という事実 - 人の職業を笑うな

フリーランス10年やってる独身の俺からしても、生存バイアスの勝ち組にしか見えない。だからどうということでもないんだけど。大手企業は入れたから、元から優秀な人なんだろう。

2017/07/13 21:41

b.hatena.ne.jp

言い訳めいた、しかしぼんやりとしたエントリを書いてみる。

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