オリンピックがみたい。

この非常時に何を言っているのかと思われるかもしれないが、オリンピックがみたい。
 
普段から特段スポーツ観戦する趣味はないのだが、昨年のラグビーのワールドカップのように、大きな国際試合があれば、なんとなく観るようにしている。オリンピックも同様に「日本人が活躍してるなら観てみるかな」程度のいわゆる「にわかファン」だ。
 
今までもオリンピックは夏冬ともに、各競技を観ればそれなりに楽しんできた。サッカーや野球などのメジャー競技はもちろん、冬のカーリングの独特の緊張感、フィギュアスケートの羽生選手の美技。
世界一を決める大会なのだから観て楽しいのは当然だろう。それぞれの選手が人生を賭けて最高のパフォーマンスで挑戦してくる、世界最大のお祭りなのだから面白くないわけがない。カーリングのように、普段観る機会のない競技に触れられるのも、オリンピックの楽しさのひとつだ。
 
しかし、オリンピックの運営自体は当然のように冷ややかな目で見ている。オリンピックではなくても、日本で開催されるいわゆる世界大会規模で、ここまで開催以前に悪い意味で耳目を集めたイベントはないだろう。
昨年のラグビーのW杯だって、新国立競技場こそ間に合わなかったものの、ロゴやなんやでモメることはなかった。1998年の長野オリンピックも、箱物関係で税金の無駄だのと批判はあった気がするが、それ以外はほとんど記憶にない。2002年のサッカーW杯も、たしか日韓戦で誤審だなんだとモメたが、やはり開催までのゴシップは(同時開催になった経緯以外は)そこまでなかったと思う。
 
翻って東京オリンピックはどうだ。ロゴ、新国立のデザイン、会場の不備、開催時期と暑さ対策、賄賂疑惑、これでもかというほど問題が出てくる。他国でもここまでモメるのだろうか?と不安になるくらいには、2013年に決まって以来、醜聞ありきで2020年を迎えた。
その挙げ句が、史上初の延期だ。
 
世界はすっかりコロナ一色に染まった。
 
東日本大震災の、津波による地獄のような映像を見せつけられ、いつ原発メルトダウンし日本全体が放射能汚染されるかという恐怖、計画停電、そして不定期にしかし無慈悲にも確実に起きる余震とはまったく別の形で、あまりにも静かに、しかし冷徹にコロナは僕たちの日常を変えた。
日本だけでなく、地球規模で本当に「世界が変わってしまった」かつ「おそらく数年がかりで、社会全体がそのあり方を変えないといけない」という絶望感、被支配感がある。「集まる=社会」であることを否定されるのが、コロナの恐ろしさだろう。
 
飲み会、パーティー、ライブ、観劇、スポーツ観戦、とにかく人が集まることができなくなる。海外旅行どころか、国内でさえ危うくなるかもしれない。そこで壊れていく、失っていくものはあまりにも多すぎる。
3.11で津波が、メルトダウンした原発が数多のものを根こそぎ奪っていったように、コロナもまた、あまりにも多くのものを、沈黙のうちに奪っていく。
 
そもそも「復興五輪」なんていうが、3.11はまだ終わったわけではない。未だに仮設住宅に住む人もいる(!!)し、そもそも福島第一原発廃炉にできたわけではない。それでも(詳しくは失念した)が天気予報と並んで放射線量マップみたいのが新聞に掲載されなくなって久しい。震災で親を亡くした球児がプロ入りしたというニュースも観た。それだけの月日が流れた。
 
令和の今、ニュースで一言もコロナに触れない日は、いつ来るのか。
オリンピックは本当に延期で済めばいいが、日程まで決まったものの、おおよそ現実的ではないだろう。仮に日本国内で収束したとしても、世界の隅々までコロナが収束したのでなければ、世界各国から一都市に人が集まるなんて、とてもではないが世紀の愚行でしかない。再度日本でも、そして日本発で世界規模のパンデミックを引き起こすという「人為的な災害」になる。
 
それでも、今は、オリンピックがみたい。
 
もしコロナに効く薬ができ、ワクチンができ、医療崩壊も免れて収束できたのなら。そしてまた人々が集まり、話し、食事をし、触れあえるようになったのなら。
それはかつてない感動的なオリンピックになるだろう。あまりのも多くの犠牲を払った上で、人々が集まる・移動をするという人類が今までごく当たり前に繰り返してきた行為が、ようやく何の心配もなくできるようになる。それは追悼と平和の祭典になるだろう。何年後でもいい、東京じゃなくてもいいので、開催されてほしい。
 
世間は給付金でモメているが、ありがたいことに僕の仕事には直接コロナの「被害」はない。ただ、保守案件で、コロナによる中止のお知らせや、その他対策の告知が増えた。僕自身、フリーランスで基本的に自宅で仕事をしており、毎日通勤してるわけではないので、普通の人よりは感染へのストレスは少ないはずだ。それでも人類の未曾有の危機(という言葉が比喩でないのが恐ろしい)に、どうしようもない虚無感や圧迫感を覚える。
僕はまだ「一ヶ月後どんな世界になってるかわからないが、とにかく生き延びるしかない」といえるが、直接被害を受けているエンタメ界や飲食、旅行、その他業界の人々の心中は想像するのも辛い。彼らは崖へ崖へと隘路を圧されていくような思いで、一週間後どころか、明日さえろくに見えないだろう。3月初めに行く予定だったライブが7月に延期になったが、本当に開催されるかもわからない。
僕はまだ恵まれた環境にあるのだから、微力ながらその一助になる仕事を淡々とするしかない。
 
またオリンピックがみられる日が来るのを夢見ながら。